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転売と生産、価値の付加および剥奪

Business Economics

「転売業」という言葉から多くの人が連想するのは、おそらく「せどり」や「ダフ屋」のような、いかにもゴキブリ業といった感じのビジネスかもしれない。

しかし、実際には世間におけるビジネスの大部分が「転売業」にすぎない。ソフトバンク光、NURO光はソフトバンクソニーがそれぞれ電電公社の回線を仕入れて転売しているものだし、MVNOも同様である。問屋がやっていることは商品の小分け販売であるし、人材派遣会社は労働力の転売をやっているし、大学だって知識の転売をしているわけである。教授は同じ知識を書籍でも講義でも提供し(たまに、あまりにも同じことしか言わないので気味が悪くなる)、大学は中抜きで肥え太る。

いわゆるOEM生産をやっている家電メーカーも、大部分は「転売」にすぎない。最近は、設計図さえもいくつかのテンプレートから選択できるようになっており、資金さえあれば誰でも自社ブランドの商品を販売できる体制が整っているようだ。少し前には、「VAIO Phone」がPanasonicの過去の商品とあまりにも類似しており、VAIOロゴのブランド力を使った転売にすぎないとして批判の的となった。しかし、ブランド物のバッグや時計なども、クオーツ式であれば大部分は日本製の汎用部品を使うしかないのであり、中国などから安く出ている無銘の時計と品質的には大差がない。これも、ブランド力を利用した転売の一種に他ならないのだ。

 

ただし実際には、上に述べたほどに単純な「転売」が行われることはほとんどない。なぜなら、単純転売は模倣が容易(仕入れ先と販路さえ判明すれば誰でも模倣できる)ことから、ビジネスとしての安定性・継続性がほとんどない。それゆえ、実際の転売は様々な付加価値を大なり小なり、伴っている。

  • 商標
  • アフターサービス
  • 利便性
  • ストーリー
  • デザイン

主に、これらの無形的な付加価値だけが「付加価値」と呼ばれる。有形の付加価値は、一般に「加工」と呼ばれることが多いし、ネジに対して木材を加工してタンスにする場合などは、元々の商品よりも加工材の方が分量が多いので、もはや「製造」と呼ばれてしまう。

加工ないしは製造された商品は、多かれ少なかれ、加工ないしは製造される前の商品よりも機能や効能が向上している。ねじと木材の有用性と、タンスの有用性を比較すれば明らかなことである。

一方で、「付加価値」が付与された商品と付与される以前の商品は、実質的な収益性において変わりがない。ここでいう収益性とは、顧客価値や消費者効用と区別するための概念であって、その商品が新たな富を生産する能力を意味している。多くの消費財の収益性はゼロである場合が多い。無銘のバッグであってもグッチのバッグであっても、基本的にはそれが富を生むことはない(投資ではなく消費である)。

だから、以下のような人は、同じものについてより多くの代金を支払うことになる(こうした人が日本の経済を支えているのである)

  • ブランドに魅力を感じる人
  • 商品の使い方がわからないひと
  • 面倒くさがりな人
  • 騙されやすい人、感動しやすい人
  • 外見で物事を判断する人

いっぽうで、商売の世界では、付加価値の一部を剥奪することで価格が上がるものがある。セールスマンの中には、顧客が興味を持っていること以外は何一つ話さない人がいる。これは、複雑なことを長時間聞き、理解することができない顧客にとって、自分が必要としている機能以外の商品説明はすべて雑音でしかないからである。また、工業製品の説明書も、価値が一つにまとまりすぎているので、コールセンターの仕事はおもに顧客の代わりに、説明書の索引を探すことにすぎない。情報を小分けすることに価値が生じている。

 

大事なのは、アダム・スミスが指摘しているように、国全体の富の総量は、人口のうち生産活動に従事する人々の割合できまるということである。とはいえ、付加価値がない状態で商品が購入されない市場においては、つねに多くの人口が商品に付加価値を与え、転売する業務に就かざるを得ない。国富の増大のためには、総合的なリテラシーの高い人口は欠かせないのだ。