同性婚の不可なるを説く―再生産を巡る報酬的秩序の観点から

Abstract

現在我が国においては、同性愛者であっても養子縁組によって婚姻と同等かそれ以上の実際的なメリットを享受することができる。それでもなお同性婚が要請される理由は、婚姻が単に経済的なメリットをもたらすに留まらず、当事者間に精神的な満足を与えるものであるからに他ならない。

その価値は共同体によって認められ、また与えられるものであるが、ではそのバーターとして夫婦から共同体に捧げられている貢献とは何だろうか。筆者が思うに、それは人口の再生産という代替不可能な貢献である。同性愛者は他の男女が生んだ子を譲渡されて育てることはできるが、それは社会に新たな人口をもたらすものではないし、保育園や孤児院、ボランティアによって代替可能なものだ。一方、最終的に人口を再生産するという夫婦の機能は、現在に至るまで夫婦以外の何かによって担われたことがない。
婚姻という関係にのみ認められる特別な承認は、この特別な貢献と引き替えに与えられているのではないか。もしそうであれば、同性カップルがそれを得ることは困難というほかない。仮に制度上でそれを実現させても、反対勢力による攻撃が常に彼らを不安に陥れるだろう。
そこで、筆者は同性カップルの関係を婚姻制度とは別個のものとして新たに民法上の地位を与え、同性カップルが実際に多くの孤児などを引き受けて共同体への貢献を果たすことで、長い時間を経て独自の名誉ある地位を確立していくことを提案する。その名誉は同じ貢献を果たしている保育園や孤児院、ボランティアなどと同程度のものになるはずだが、それは決して"取るに足りない"ものではないはずだ。

先年の春、東京都渋谷区は「同性パートナーシップ証明書」なるものを発行し始めた。現時点において我が国は同性婚を認めてはいないが、渋谷区の制度を利用すれば擬似的に公的セクターによって承認された結婚的なものを体験することができるため、ゲイリブ運動の界隈では大変歓迎された。
北欧を中心に、すでに同性婚を認めている国も少なくない。我が国に最も影響を与えやすいアメリカ合衆国においても、最高裁判決によって全ての州でこれが認められることになった。キリスト教の信念を理由に同性婚の受付を拒んだ女性事務官が収監された事件は記憶に新しいだろう。
全体的としては同性婚承認の方向に進みつつある自由世界の情勢を踏まえつつ、本稿では我が国における同性婚の承認、すなわち法制化が共同体に与える影響について考察したい。

同性婚とは何か

まず、同性婚という概念そのものについて、ごく簡単に当事者の主張を参照したい。
EMAと称するゲイリブ団体は、公式ウェブサイトで「なぜ同性婚が必要なのですか?」という問いに対し、以下のように回答している。

 

同性愛者は、国や時代を問わず、一定割合存在します。社会のある人たち(異性カップル)には婚姻による全ての法的・社会的な権利と義務関係、そして「結婚」という特別の響きを持つ関係性を認めるのに、一方でその他の人たち(同性カップル)に対してこれら全てを否定するなら、それは差別です。

自ら選択する自由のない、生まれた出自や階級、人種を超えた結婚を禁止するのが差別であるのと同様に、自分で選択したものではない「性」により結婚を禁止するのも差別です。

結婚すると、同居・協力・扶助義務、守操の義務が発生すると同時に、遺産の相続権、被扶養配偶者として年金、医療、税の控除、労災補償の遺族給付などを受けられるようになります。これらの権利義務関係は、配偶者が異性である場合に限定する合理的理由がありません。憲法第14条1項が定める「法の下の平等」の観点からも、同性カップルに平等な権利義務関係を認めることが必要であると考えられます。同性カップルに結婚を認めない現状は「法の下の不平等」です。

社会のあるグループを差別する社会は、そのグループの能力を十分に活動できず、経済的には不利益です。実際、今日同性婚あるいはパートナーシップを認める国の一人当たりGDPは、それらを認めない国の平均の4倍近くになっています。今後日本は40年間に人口が半減しますが、こうした急激な人口減少に対応するために、国民一人一人の能力を最大限に発揮しなければ、経済は一層深刻な縮小を余儀なくされます。

また、配偶者が外国人の場合は、日本に居住したり帰化できるようになります。現在では多くの国で同性婚が認められますが、それらの国で結婚した同性カップルの一方が仕事で日本に赴任する際、配偶者を日本に帯同できないという問題が生じています。日本は高度な知識や技能を有する外国人を受け入れ、経済の活性化を図ろうとしていますが、外国人の同性カップルについて、配偶者の日本の居住を認めないことは日本の経済的利益を損なっていると言えます。

さらに、外国人の同性パートナーと結婚した日本人は、2人の婚姻が認められない日本を離れ、婚姻が認められる相手国に移住することが多く、日本の人口減少に拍車をかけていると言えます。

婚姻の法律上の効果に加えて、結婚は2人の相互理解と信頼、協力と家事の分担などの意味があります。こうした結婚の意味は同性カップルにとっても重要なものです。

emajapan.org

 

この主張は、道徳的側面の実利的側面の二本立てで同性婚を擁護する内容である。すなわち、道徳的には婚姻に伴って発生する諸々の権利と義務を確認しつつ、「これらの権利義務関係は、配偶者が異性である場合に限定する合理的理由がありません」と結論づけている。合理的理由を欠いた区別は不平等であるから、それは差別に他ならない。
実利的にも、諸外国と異なる婚姻制度が高度人材の一部に我が国への移住を断念させていることは、その影響の大小はさておくとして、事実であろう。ただし、経済的利益が見込めるということは、必ずしもその政策を実行しなければいけないという規範的な言説を正当化しない。戦前に実際主張されたように、日本語をまったく廃止して英語を公用語にすれば、海外との経済的な交流が深化され、「高度人材」の移住も進み、投資が容易になるため経済成長に裨益する可能性は非常に高いが、それはあくまで日本語が持つ全体的な価値より経済的な利益を優先するという判断がなされた場合にのみ実行されるべき政策であって、そうした社会的な合意なくして正当化されることはあり得ない。

次に、朝日新聞傘下のネットメディアであるハフィントン・ポスト日本支部が、アメリカ合衆国同性婚をしたゲイカップルに同性婚の意義を尋ねた記事がある。要点を抜粋して検討したい。

―どうして結婚という形を選んだんですか?
浩)愛し合っていれば結婚願望が訪れるのは、男女のように自然なことだと思います。あとは、例えば自分が突然亡くなったら、不動産を合法的に彼のものにできるようにしたかったということですね。(現在の日本では効力のない)アメリカであっても、パートナーに何か残せるものがあるといいですよね。

デ)18年付き合ってきたけれど、「浩二さんはあなたのボーイフレンド?パートナー?ルームメイト?」そう聞かれたときに「夫です」と答えたい。そのシンプルな理由です。

―お住まいの区に、パートナーシップ条例が制定されたら使いますか?
浩)もちろん使います。元々オープンリーだから、カミングアウトの問題もありませんし。

―子育てはしたいと思いますか?
浩)僕はしたい。でも、彼はそうじゃない。

デ)うん。ゲイカップルも、ストレートのカップルのように、子供を持ちたいか持ちたくないかを選べる。ケースバイケースですよ。

www.huffingtonpost.jp

 

こちらも、実利的な側面について議論に及ぶ必要はないだろう。「自分が突然亡くなったら、不動産を合法的に彼のものにできる」ことは、なるほど婚姻関係の果たしている大きな役割のひとつである。むしろ、注目すべきは、『「浩二さんはあなたのボーイフレンド?パートナー?ルームメイト?」そう聞かれたときに「夫です」と答えたい』という情緒的な理由である。この必要は、仮に同姓パートナーシップ制度が国法に取り入れられ、妻でも夫でもない「パートナー」なる*1立場が新しく創設され、名称以外の全ての側面において婚姻関係と同様の権利および義務が認められたとしても、なお満たされたことにはならないだろう。
こうした動機は、EMAによる説明にも見ることができる。彼らはそれを、『「結婚」という特別の響きを持つ関係性』という言葉で表現している。本稿では、これを婚姻の道徳的価値と呼ぶことにしよう。

同性婚と養子縁組制度

既に述べたように、我が国において同性婚は認められていないが、同性カップルの一部はすでに民法上の「養子縁組制度」を活用して、擬似的に同性婚と同様の法的関係を成立させている。同性カップルが養子縁組制度を活用した場合の影響について、セクシュアル・マイノリティ法務支援を担うゲイリブ団体であるレインボーサポートネット(RSN)は次のように解説している。

養子縁組のメリット
  • 法律上の家族になることができる
  • 養子は養親の財産を相続する権利を有する(その際、遺言は不要)
  • 養親は養子の財産を相続する権利を有する(その際、遺言は不要)
  • 共同の財産を作ることができる(例えば、不動産の購入など)
  • 入院や手術の際に、「同意書」にサインすることができる

など

 

養子縁組のデメリット
  • 将来、パートナーと婚姻(結婚)できなくなる 注1
  • 他に家族がいる場合、その者の理解を得にくい  注2

  • 苗字が変わる 注3


注1
一度養子・養親の関係になった場合、離縁したとしても婚姻はできないため、将来、同性婚を認める法律ができた場合のデメリットとなります。ただし、特例が認められる可能性はあります。

注2
養子縁組により、相続関係に影響が出る場合も考えられます。そのため、それを納得しない人が現れる可能性もあります。

注3
養子は養親の苗字を名乗ることになるため、それに付随する作業(例えば免許証などの書き換えなど)が発生します。また、職場などでの対応(例えば、カミングアウト)についても考える必要があるかも知れません。

など

rainbow-support.net

 

養子縁組のメリットを参照すると、これらが現行の婚姻制度によって男女に認められている法的な権利とほぼ軌を一にしていることに驚きを禁じ得ない。当然、扶養控除も(配偶者特別控除を除いては)利用することが許される。医療現場における「家族の壁」はしばしば同性婚賛成派の論者によって主張される論点であるが、養子縁組は「家族」形成するため、容易にこれを解決することができる。
一方で、デメリットとしては三点が(”など"を伴わない形で)挙げられているが、一点目については、同性婚が認められるような世論が形成された際に既に養子縁組を選択したカップルへの特例は認められないような状況は現実的に想定しづらいため、検討する必要性は高くないだろう。二点目については、現行の男女の婚姻にも同様のトラブルはつきものであるため、養子縁組に特有のデメリットであるとは考えにくい。遺留分を除けば遺言によって遺産の処分方法は裁量的に指定できるため、決定的な論点とはなりづらいだろう。三点目は、現行の婚姻制度も片方が氏を変更することを要求しているため、養子縁組に特有のデメリットとはいえない。同性婚の問題ではなく、夫婦別姓問題の問題として扱われるべき事柄である。

先述のゲイリブ団体EMAは、婚姻に伴う法的な権利義務関係として「同居・協力・扶助義務、守操の義務が発生すると同時に、遺産の相続権、被扶養配偶者として年金、医療、税の控除、労災補償の遺族給付」を挙げていた。権利の側面に関しては、養子縁組によって配偶者特別控除を除けば、ちょうど両親に扶養される成人した学生と同じように受けることができることがわかる。社会保険にも被扶養者として加入可能であるし、遺族厚生年金も失効しない。義務関係についても、刑法は近親相姦罪を既に廃止しているため、貞操の義務が発生しない以外はほぼ同様である。同居の義務は民法上では発生しないが、社会保険や年金、税金の被扶養者控除の条件として要求されている場合がほとんどであるから、実際的には発生するものと考えるべきだろう。義務というものは個人の自由権を制約するものであるから、貞操の義務が要求されないことは、フランスの民事連帯契約のあり方に近く、むしろ同性婚よりも養子縁組が優れている点として肯定的に評価されるべきだ。なお、どうしても貞操の義務に束縛されたい場合は、親子間で同様の民事的な契約を交わせば口頭であっても民法上の義務が発生するため、希望するカップルは任意にこれを契約することができる。

婚姻の道徳的価値

以上の議論を総合すると、我が国の同性婚状況は世界的にも奇異な状況に置かれていることがわかる。同性による婚姻が認められていないにもかかわらず、養子縁組によって通常の結婚を部分的に上回る法的な権利義務関係が手に入る。婚姻制度に劣る唯一の点は配偶者特別控除であるが、これは妻の年収が76万円以下であり、かつ夫婦の合計した所得が1千万円を下回る場合に3~38万円の所得控除を受けることができる制度であり、一国の婚姻制度を左右する論拠としてはあまりにも貧弱である。しかも、現在の与党はこの制度が女性の就労促進を妨げているとして、これを廃止する議論を進めている。
すなわち、驚くべきことに、我が国は「婚姻の道徳的価値」を除けば、同性パートナーに結婚とほぼ同様の権利義務関係の享受を既に認めているのだ。それでもなお我が国において同性婚を要求する言説があり得るとすれば、それは「婚姻の道徳的価値」の獲得を目指すもの以外にあり得ないだろう。

それでは、婚姻の道徳的価値の内容とは何であろうか。
これについても、EMA日本が先に引用した『「結婚」という特別の響き』について部分的な説明を加えている。

Q.
そもそも、「結婚制度」自体が時代遅れではないですか?

A.
夫と妻の性固定的な役割がなくなりつつあり、結婚=妻が夫の家庭に入って経済的に夫に女性が依存するという社会でもなくなってきました。また、社会や文化が結婚を当然視するとかいうこともなくなってきました。つまり、結婚制度は、古い社会の性固定的な役割意識や男性による女性支配を必ずしも意味しなくなっています。したがって「結婚制度」自体を否定する必要性は小さくなったのではないでしょうか。

今日においても、人々は「結婚」に感情的な意味や価値を見い出し、それにより社会的な認知を得て、文化的な関係を築くという意味は減じていません。つまり結婚制度は現代でも意味を有すると考えられます。

「結婚制度」は、世俗化や市場化の流れの中で、その性格を柔軟に変化させ続けることで持続してきました。同性婚を認めることは、時代に相応しい結婚制度の発展であると言えます。

emajapan.org

 

本稿においては「感情的な意味や価値」や「社会的な認知」、そして「文化的な関係」の内実に立ち入る必要があるのだが、どうも容易に説明しうる概念ではないようだ。欧州連合などが標榜する「共通の価値」の内実が自由主義だけでは説明できないことと同様の歯がゆさを禁じ得ない。また、その内実は少なくとも経済的、即物的なものではあり得ないから、それを享受している、あるいは誰かが享受しているのを目の当たりにしてそれを羨んでいる誰かにしか説明できないものかもしれない。
単に「結婚すれば周囲が祝ってくれる」ということが婚姻の道徳的価値の内実であるならば、以前報道されたようにディズニーリゾートのような同性婚に親和的な施設で挙式し、渋谷区に届け出を提出すれば事足りる。また、同性婚が許容されたからといって、同姓パートナーシップの成立や養子縁組の成立を祝福しない人が突然同性婚を祝福するようになるわけではない。つまり、社会的な是認や祝福はあくまで社会の同性婚に対する態度に依存しており、名前をパートナーシップ、養子縁組、そして結婚と変更したところで特定の同性カップルを祝福する人々の数が増えるわけではない。むしろ、アメリカでキリスト教保守派がそうし、イスラム過激派もそうしたように、敵意を露わにする人々が出現することも考慮して評価せねばならないだろう。

しかし、婚姻の道徳的価値について唯一確実に言明できることは、その価値が同性カップル本人らの主観的満足のためのものであり、公共の利益を増進する目的を持っているわけではないということだ。「パートナー」や「養子」から「夫婦」へと名前を変更することで満足感を得るのは、何らの齟齬なく「結婚」、ないしは「夫婦」という言葉が持つ「特別の響き」を消費することができるパートナーら当事者に他ならない。

婚姻の公共的性質

さて、EMAの議論によれば「これらの権利義務関係は、配偶者が異性である場合に限定する合理的理由がありません」としているが、この命題ははたして真であろうか。
たとえば貞操の義務は、子の養育はその子を出産した女性が単独で負担するものではなく、通常は夫婦で負担されることが想定されることから要請されているものと考えることができる。いわゆる「托卵」のような行為が横行すれば、実際に性行為に及んだ男女が生み出した負担のうち大部分を別の男性が負担することになる。一方、男性が既婚の女性といわゆる不倫に及んだ場合も他の家庭において同様の状況を生起させることになるから、男女双方に貞操の義務を課すことは合理的であると考えられる。同様の理由から、女性について離婚後一定期間の再婚禁止規定がある。

ただ、ゲイリブ運動は義務を増やすことではなく権利を増やすための運動であるから、まずは婚姻に付与される権利関係が「配偶者が異性である場合」に限定される合理的理由を探すことにしよう。
同性婚と婚姻の決定的な差異として、出産の有無が挙げられる。婚姻はその義務によってある男女に持続的な共同生活を要請するから、長い養育期間によって女性が稼得能力を失い、あるいは保育所などの費用のために稼得の一部を手放す必要に迫られるにもかかわらず、夫婦の相互扶助義務によって養育の完遂をかなりの程度現実的にする。仮に離婚があった場合でも、裁判所は子を手放す側の稼得の一部を、公平で予測可能な基準によって引き続いて養育する側に移転する。他方で、同性婚は生物的な制約から、子を出産し社会に新たな人口を供給する機能を持たない。他の夫婦が出産した子が同性婚の夫婦に譲渡される場合があるが、この機能は孤児院や既に子育てを終えた夫婦、あるいは既に実子を持っている夫婦など、子の養育を移転元の夫婦と政府に対して誓約することができる者であれば、誰であっても、いかなる人数によって構成される団体や企業であっても果たすことができる。
しかし、人口を再生産するという機能は男女による婚姻がなくては果たし得ない。卵子は特定の精子から受精する必要があるから、孤児院や保育所が無償かつ無制限に供給されたとしても、誰かしら出産させる意思がある男性が必要になる。科学的には、一部の男性の精子を保管した後に多くの女性に投与し、子は必ず政府に譲渡するといった方法によって婚姻によらない人口の再生産は可能であるが、それに男女が同意する見込みがないから現実的ではない。少なくとも「男女による婚姻なくして人口を再生産することは、現在までの人類史において可能であったことがない」という命題は真といえるだろう。

いうまでもなく、同性婚に関する議論においては、人口の再生産は社会にとって善である。少なくとも、EMAを筆頭とする同性婚賛成派の論者は組織は、同性婚に肯定的な北欧圏との出生率の差を根拠に「同性婚少子化を解決する」と主張することがある。EMAも我が国の少子化や労働力の不足を問題にしており、「高度人材の受入促進」が同性婚の効用として挙げられるのもそのためである。

同性婚賛成派によるかかる議論を前提にするなら、現在に至るまで社会に人口を供給してきた男女による婚姻に対して、ある種の肯定的な価値を認めないわけにはいかない。ところで、現行法において婚姻には様々な権利・特典が付与されており、社会的な祝福や「特別な響き」に代表される「婚姻の道徳的価値」も与えられているわけであるが、これは「不合理な差別」ではなく、人口の再生産という社会全体に対する貢献に対する恩典として説明することができるのではないだろうか。

事実として、男女による婚姻は現代の我が国においてもその貢献を続けている。合計特殊出生率の低下が叫ばれているが、これは未婚者の増加が主な原因であり、実際に結婚した男女が生む子の数量を平均した完結出生児数は70年代以来、ほぼ横ばいである。

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同性婚によって転倒する価値

既に説明したように、男女による婚姻は人口を再生産するという一点において、代替不可能な共同体的価値を有している。いっぽうで、同性婚によって同性カップルが「結婚の道徳的価値」を消費することは個人的な動機による個人的な価値である。
既に婚姻と同様の実利的価値を養子縁組によって享受することができる以上、我が国が同性婚を認めることは男女による婚姻に固有の恩典として唯一遺されていた「婚姻の道徳的価値」を、人口の再生産を担わないカップルに認めることにほかならない。その場合、当然ながら婚姻の道徳的価値は恩典としての機能を果たさなくなる。子供を有さない場合でも、婚姻によって道徳的価値を消費することが可能となってしまう。

婚姻の道徳的価値が、ゲイリブ当事者らの様々な努力―同姓パートナーシップ条例、ディズニーリゾート挙式、協力者らよる「夫婦」としての承認、当事者間による夫婦を模した振る舞い―によっても複製することができず、あくまで男女と同様の婚姻の枠組みに内包されることを運動の目的とするのはなぜだろうか。それは、婚姻の道徳的価値が当事者の内心や、アライと呼ばれる協力者らのような小集団によって生成しうるものではなく、あくまでも遍く共同体全体から与えられる徽章でなくてはならいからだ。民主的な国民国家の法制によって認められることは、なるほど記号的に「共同体全体からの承認」を表象している。
しかし、共同体に対して排他的な方法で利益を与える手段を持たない同性婚に男女による婚姻と同様の恩典を与えてしまえば、共同体への貢献を共同体が称讃し、個人への貢献を個人が称讃するという原則が崩されてしまう。

憲法によってあらゆる恩典や貴族を廃止した我が国において、制度が個人に対して道徳的な是認を与えることは非常に稀である。同性婚賛成派が主張するように、制度における婚姻が夫婦に実際的な便宜に留まらず特別な形而上的恩典を与えているのであれば、それは夫婦にしか果たすことができない共同体への貢献、すなわち人口の再生産に対して捧げられたものと考えるべきだろう。実際、この恩典は「花嫁」という言葉と結びつき、それに付随する想像とともに若い女性が結婚を志向する大きな文化的要因であり続けてきた。
同様の恩典を同性婚に対して与えてしまった場合、同性カップルの個人的な利益、あるいは同性カップルによる養育という他の様々な個人や団体によって代替可能な共同体への貢献に対して、再生産というかけがえのない貢献と同様の恩典を共同体が与えることになってしまう。
ゲイリブ運動は、我が国において同性婚を勝ち取るとほぼ同時に、そのことを祝し宣伝するための大規模な活動を行うだろう。それはおそらく、現在各地で行っている同性婚を要求するための運動やパレードと同様かそれ以上に大規模なものになるに違いない。同性婚が法制化されたとき、当然ながらゲイリブ勢力はかなりの政治力を持っていることが想定されるから、マスメディアも忌憚なくこれに協力するだろう。
そうすると、今まで子を再生産し、責任を持って育て上げてきた夫婦にとって、彼らに与えられていた名誉や恩典が陳腐化し、責任ある再生産という義務をもはや条件としなくなったことは火を見るよりも明らかになる。現在でも中年以上の夫婦が、「私は3人の子を責任を持って育て、社会に貢献した」という意味のことを誇らしく口にすることがある。同性婚によって失われるものは、こうした名誉感情なのだ。

かかる恩典が陳腐化し、様々な責任感や名誉の感情が失われることによって、男女による夫婦が実際どういう行動に出るかということを筆者は予測することができない。しかし、ひとつ指摘できるのは、欧米諸国でそうであるように、同性愛者が様々な異性愛者の権利を複製し、パレードなどを開催して自らの存在をアピールするようになるにつれて、それに反対する勢力との軋轢が増していくという事実である。6月12日に発生した米国オーランド市の銃乱射事件においては50人が死亡したが、容疑者の動機はイスラム過激主義というよりも、同性愛者への強い憎悪であったことがわかっている。いわゆるヘイトクライムは、アイデンティティ・ポリティクスの発展とともに成長してきたことを見逃すことはできない。
ゲイリブ運動に批判的な勢力の思想は、多くの場合単に宗教的な迷妄であるとか、共通の敵を作るためのプロパガンダであるとしてあまり検討されない。しかし、今までの議論を踏まえれば、本来であれば保育所や孤児院、その他小児の養育を行うあらゆる夫婦以外の個人・団体と同様の名誉・感謝にしか値し得ない同性愛者が、僭越的に夫婦と同様の恩典を要求することへの反感・不公平感という観点から説明できるのではないだろうか。

結論および「子無し夫婦」に関する附論

ゲイリブ運動が求めている「同性婚」の精神的中核を成す「婚姻の道徳的価値」は、いうまでもなく記号としての法制度の背後に事実としての社会全体による称讃、感謝の念が込められている。仮に政治力によって同性婚を勝ち取ることが可能になったとしても、同性婚が婚姻と同様の恩典を受け取り、貢献を僭称することに対して反感をもつ人々が消滅するわけではない。政治力の勾配によって不可視化されるだけである。そして、不可視化された不満は、時に暴力的な形で暴発する。これは在特会の起源や主張にも見られる一般的な現象である。
「婚姻の道徳的価値」は、それに対応する貢献をすることによってしか、事実としての承認を伴った形で得ることは出来ないだろう。だから、それを欲するのであれば、昭和時代の同性愛者と同じように異性と結婚し、子を設ける以外に方法がない。同性愛者が果たしうる公共的な貢献が別の夫婦あるいは異性愛者が生んだ子を譲渡され、責任を持って養育するということに留まるのであれば、社会から受け取るべき恩典は保育士や孤児院、あるいは現に養子を引き受けている夫婦の恩典から、夫婦であることによる恩典を差し引いたものと等価であるべきだし、実際のところ、同性婚を法制化したとしてもそれに対応する反対派の攻撃によって、自動的にこの水準まで押し下げられるだろう。それゆえ、筆者は同性カップルに対して、婚姻という既存の規範に無理矢理自らを挿入するのではなく、養子縁組制度や婚姻制度に類似する新たな民法上の関係を創設し、多くの同性カップルがその立場から養子を養育し、社会全体に貢献することによって、新たな恩典を長い時間をかけて形成していくことを勧めたい。

また、以上の議論について、子を持つことが確実に不可能な夫婦であっても、男女でありさえすれば婚姻が可能であるため、婚姻の道徳的価値と人口の再生産の対応性は既に崩されているという指摘があるにちがない。この指摘は、二つの点において誤っている。第一には、子を持つことが確実に不可能な夫婦が婚姻し、それを終生維持できるようになったのはごく最近のことであるということだ。現行の民法典が制定されてからも長い間、家系の維持を求める親族の圧力によって子を持たない、あるいは数年を経て持つことができなかった夫婦は解体させられ、別の異性との組み合わせで再度出産を試みることを要請されてきた。第二に、子無しの夫婦はゲイリブ勢力のように、自らの存在や特性をアピールし、宣伝することは絶対にしない。むしろ彼らは子を持てないことをスティグマとして認識しており、婚姻の交渉の際にも劣った身体的特徴のひとつとして扱われる。それゆえ、子無しの夫婦はちょうど同性婚に対する恩典が反対勢力の攻撃によって差し引かれるのと同様に、これらのスティグマによって差し引かれた形でしか婚姻の道徳的価値を享受していない。それゆえ、子無しの夫婦による婚姻は、婚姻の道徳的価値と人口の再生産の対応性を揺るがしてはいないのである。

本稿において、筆者は同性婚賛成派の議論を整理したうえで我が国における婚姻制度と養子縁組制度の関係を仔細にわたって検討し、同性婚賛成派の要求が「婚姻の道徳的価値」の一点にあることをあきらかにした。その上で、人口増が善であるという同性婚賛成派・反対派の間で意見の相違がない前提から出発して、「合理的な根拠のない差別」であると考えられがちな男 女による婚姻に対する形而上的な恩典について、人口の再生産という代替不可能な貢献に対する報酬であるという説明を提供した。かかる観点から同性婚に反対する勢力の動機や子無し夫婦の情緒についても一定の説明を与え、同性婚賛成派が求めるべき適切な運動目標を提案した。また、非常によく混同される同性カップルの「他者の子を譲渡されて養育する機能」と「最終的に人口を再生産する機能」を明確に区別して論じた。
ただし、本稿はフェミニズムやクイア研究と称する分野の先行研究や、婚姻の意義を追求した人類学の先行研究を参照し、あるいは前提としたものではない。あくまでも我が国の現代における婚姻と同性婚に注目し、短時間で入手できる資料を基に考察を進めている。また、中途で同性婚の経済的・実利的な価値についての議論に触れることがあるが、この点についてはくわしく検討していない。
道徳的な価値を毀損するとしても、その代償に大きな経済的繁栄が手に入るならそれを受容すべきとする議論も考えられ、また、大きな支持を受ける可能性がある。それゆえ、北欧諸国の出生率や経済成長と同性婚の関係については、同時に進行している移民の流入といったファクターの影響も踏まえたうえで厳密な因果関係を析出する作業が求められるだろう。また、近代以前において同性愛を許容する価値観や法制度が存在したことはしばしば指摘されることであるが、現代まで残り、反映している文明や宗教は、みな同性愛・同性婚を禁止するか、少なくとも好意的な立場はとらないものであった。同様の傾向は男系主義と女系主義においても観測できるが、これを人類学の立場から社会ダーウィニズムや自生的秩序の議論を前提に考察することも、実りある今後の研究課題となり得るだろう。

*1:名前は何でもよい