読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

出生前診断を利用した「産み分け」の是認による男女平等実現の可能性

あらゆる社会思想は、論者の個人的背景と無縁ではあり得ません。かのジョン・メイナード・ケインズ

In the long run we are all dead.

(長期的には、我々は皆死んでしまう) 

 と主張し、政府の財政出動による失業対策、経済の安定化を唱えましたが、一方で新古典派の経済学者たちは補償原理を発明し、貿易や技術革新によって短期的には失業が生まれ大きな不幸をもたらしても、数十年、数百年のスパンで見れば国民全体の利益につながると主張しています。じじつ、ケインズはいわゆるグローバル化(自由な国際貿易)や国際金融市場に否定的でした。

われわれが必要としているのは、将来の理想社会に向けての実験を有利に進めるために、そしてそれが過大な経済的コストを伴わずに成し遂げられる範囲内で、国家的自給と経済的分離を進めるために、できるかぎり外部での経済的変化に干渉されないようにすることである。

かくしてケインズの経済学は短期の経済学と呼ばれていますが、ケインズの思想の背景には、彼に子がなかったというすこぶる個人的な事情が反映されていると言われています。経済学者のジョセフ・シュンペーターはこれを「子供のいないビジョン」と呼んでいます。子どもがいないケインズにとっては、「仮に一時的な失業に苦しむことになっても、イノベーションによって将来的には子孫がよりよい財を安価に消費できるようになり、しかもそれが全世界に波及する」といった言説は直感的に説得力を有さなかったということでしょう。

小生がこのブログで述べている様々な主張にも当然同じことはいえるのでしょうが、それ以上に重要なのは、かのフェミニズムもそうした背景が存在するという可能性です。

女を装う―美のくさり

女を装う―美のくさり

 

 初期フェミニズムの論者たちが自身の生い立ちとフェミニズムとの出会いを綴ったエッセイ集のようなものですが、読んでみると明らかですが、本書は男に選ばれなかった女たちの怨嗟の声に満ちています。

私は生まれつき左右の目の大きさがふぞろいだったため、母から結婚を考えるな、一人で生きていくことを考えるようにと言われて育った。だから、女にとって容姿が重要な位置を占めることはおぼろげに理解していたのだが、小学二年生くらいになると、その意味がはっきりしてきた。

子供同士でケンカになると相手に一番ダメージを与える言葉を投げかけてくる。私のことを「片目」というのは、いつも男の子だった。女の子はまずこの言葉を使わなかった。女の子の方が容姿のことでは自分自身も深く傷つくことを知っていたからではないだろうか*1

……深く傷ついた私は自分だけの神様を造り出し、祭壇まで用意し、自然にこの目が治ることを祈っていた。

「美和ちゃんは、顔にアザがあるから、お嫁に行くのは難しい……職業婦人になりなさい。医者でも、弁護士でも、それが駄目なら、せめて教師にでもなりなさい」

そのコトバは、母にしてみれば、叱咤激励のつもりであったかもしれないが、私にしてみれば、自立を促す勇気づけにはならず、決定的な精神的ダメージを与える一撃だった……母のコトバの裏に、女の価値は結婚することが最上であるという意味が読み取れた。

この幅広い末広がりの足は、子供の頃から「バンビロ」「バカの大足」とからかわれ、「百姓の足」「品のない足」「女らしくない足」「嫁のもらい手のない足」とさげすまれてきた。それをいうのは母だった……自分を大足女のイメージから切り離したくて、靴の色やスタイルやデザインにこだわり、なんとか足を「小さく」見せようと心を砕いた。

こうした女たちが最終的に着地したイデオロギーこそが、アメリカで勃興しつつあったフェミニズムだったのです。一方、多くの普通の女たちは、今も昔も「カオとカネの交換」を行い、高い幸福度を享受しつつ専業主婦として暮らしています。

みずほ総合研究所による別の幸福度調査*6によれば、日本において最も幸福度の高い職業は専業主婦であるという。家事労働をGDPに計上せよと主張するフェミニスト、すなわち少数のエリートの女性にとっては家事労働はたいへんな労苦かもしれないが、実際に家事労働をもっぱら行っている女性は、他のどんな労働者にも増してその地位に満足を覚えているのである。

結婚の条件 (朝日文庫 お 26-3)

結婚の条件 (朝日文庫 お 26-3)

 

「妻と同じ収入しかないが家事を半分してくれる男と、すごく収入があるが決して家事をしない男とだったら、どちらと結婚するか?」と女子大生に質問してみればよい。圧倒的に後者が選ばれる……夫に莫大な収入があれば、妻の家事負担はなんとでもなる。 

 「女は真面目に働きたいなんて思ってませんよ。しんどい仕事は男にさせて、自分は上澄みを吸って生きていこうとするんですよ。結婚と仕事と、要するにいいとこ取りですよ」と、彼女ははっきりとそう言い、私もその点に関してはまったく同意見なのであった。

これは、女性がそういう生き物であるというより、人間というものがそういうものであり、人間の中で女という位置に置かれたら男と違って楽をできる方法が許されている以上、それを使わないはずがないという、諦観にも似た認識である。男性だって同じ立場になれば、同じことをするであろう。

こちらも参考になります。

上記の記事でも言及されている通り、ジェンダー・ロールとは女性の生殖価値と男性の稼得価値の均衡が規範化したものであり、男女はまさに「共犯関係」にあったわけです。しかし、決定的に容姿に恵まれなかった初期フェミニストたちにとって、この均衡は不都合極まりないものでした。容姿がなければろくな男が手に入らず、結婚をできたとしても社会的地位の低い男と、苦労と貧困を共有する生活しか手にはいらないことは明白だからです。

そこで彼女たちは、稼得価値だけを価値と認め、その平等を求めるフェミニズムと、女性に稼得へのアドバンテージを与えるフェミニズム政策を声高に求めたのでした。彼女たちが自覚していようといまいと、これは容姿に恵まれない女たちにとって当然かつ合理的な生存戦略であったといえるのです。

以上のように、社会思想とは根本的に論者の個人的利害を反映した党派的なものにならざるを得ず、誰かにとって利益のあるイデオロギーが、他の誰かにとって大きな不利益を生むことが少なくありません。かくして政治とは、自己の主張が単なる我田引水と悟らねぬように細心の注意をはらい、狐と狸の化かし合いの様相を呈することになります。

その結果のひとつが、「女女格差」とも呼ばれているエリート女性とそれ以外の女性の断絶です。

女女格差

女女格差

 

 

「過去の婦人運動は36人の婦人国会議員と数十万のドイツ女性を大都市の路上に狩り出した」と、ある女性の党支持者は書いた。「それは1人の女性を高級官僚にし、数十万の女性を資本主義的経済秩序の賃金奴隷たらしめた。働く権利を奪われている男はいまや約600万もいる。女だけが、安価でいつでも利用できる搾取の対象として、いまなお仕事を見つけることができるのである」

(上記記事より引用) 

これは戦間期のドイツについて述べた記述ですが、あたかも現在の日本のことのようです。

社会の誰にとっても利益をもたらし、不利益をもたらさない(=パレート改善的な)社会思想はその社会の利害に関係する個人にとっては案出し得ない、という命題を見ることができるはずです。

そこで対案として提案したいのが、市場メカニズムを利用した分権的意思決定です。F・A・ハイエクは、人間の意思決定がつねに不完全な情報によってしか行われ得ないことに着目し、情報の不完全性の観点から社会主義を激しく批判しました。

「我々が利用しなければならない状況についても知識は、集中され、もしくは統合された形で存在することは決してない」

「価格機構についてのもっとも重要な事実は、この機構が機能するのに要する知識が節約されていること、すなわち個々の市場の参加者たちが正しい行為をすることができるために知っている必要のあることがいかに少なくてすむかということである」 

もし市場がなければ、ある日国内でバターが不足していることがわかった時、中央政府は全国の農場に乳牛やバターの生産を増やすように命令し、いっぽうで消費者にはバターの代わりにマーガリンを利用するよう命令し、もしその命令に従わない場合は警察や軍隊を利用する必要さえあります。国民生活全体を監督できるような強力な暴力装置は、この世の常として国家内国家を形成するため、国民は「隷従への道」を辿ることになります。

「統制社会のこういったありかたは、ちょうど大組織によく見られるあの統制された状況と、まったく同じになってしまうだろう。いや、それはもっと悪いものだろう。社会全体が統制されてしまえば、どこへ逃げていくこともできなくなるからだ」

一方、市場メカニズムが機能すれば、バターの価格が上昇することによって消費者は個々人のバターを求める気持ちの強弱に応じて順にバターを手放し、鶏や豚を育てていた農家は単純により儲かるからという理由で、自発的に乳牛の飼育にとりかかります。そこには何らの強制も必要ではなく、消極的自由は保証されるのです。

「隷従への道」の扉ページに引用されている以下の言葉は、ハイエクの思想をよく要約しています。

「富の生産に対する統制は、人間生活それ自体に対する統制である」

―ヒレア・ブロック

隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】

隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】

 

同じように、「男女平等」が「男女のいずれかに生まれたことによって得も損もしない社会」の実現であるとするなら、それはすでに男女のいずれかに生まれつき、個々人に固有の経験を蓄積してしまっている我々には設計できないものなのです。容姿に恵まれた女性は家父長制を支持するでしょうし、上述のようなフェミニストは稼得の結果的平等を求めるでしょう。男女のいずれかが「より恵まれている」かという問いに対して、全国民の利害を総合した客観的な答えを提出することは、個人の力によっては不可能というほかなく、結局は「声の大きい」層の利害が優先されてしまうのです。

そこで、出生前診断を根拠とした性別の産み分けを公認、推奨することを提言します。そもそも、親たちにとて男女の産み分けは古来より実現困難でありながらも一種の夢であり続け、呪術や儀式にさえすがりながら、親たちはいつ何時でも、その時点でもっとも効用の大きい性を産み取ろうと試みてきました。国立社会保障・人口問題研究所の守泉理恵による論文『日本における子どもの性別選好:その推移と出生意欲との関連』より引用します。

日本でも、古くから子どもの性別への関心は高く、男児を望む風潮は少なくなかった。江戸時代頃まで、出生前から占いなどによって性別判定を行う試みや、胎児の性別を男児に変えるまじないなどが各地で一般的に知られ,行われていた(新村1996)。しかし、出生前の確実な性別判定は難しかったことから、人々の性別選好は出産後の間引き行動によって実現されていた。

しかし、現在では男児よりも女児のほうが好まれる傾向が非常に強くなっています*2

f:id:nyaku37:20160228104051p:plain

男女、あるいは婚姻の有無によって微妙なズレが見られますが、傾向として女児選好が強くなっていることは疑いようのない事実といえるでしょう。しかし、人々は(悪意・意識の有無とは無関係に)「嘘をつく」ことがあります。人々の選好(個々人の有する情報の範囲内において最も合理的な選択)を観測する最良の方法は、アンケートをすることではなくその行動を観察することなのです。以上の調査からは「それ以上はわからない」としか言いようのない夫婦間の意見の相違やウソといった問題は、行動を可視化(=産み分けを容認)することによって解決できます。

論語新釈 (講談社学術文庫)

論語新釈 (講談社学術文庫)

 

 

子曰わく、其の以いる所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや

人の善悪を知るには、まずその人の行為を調べてみる。もしその人の行いが善であるならば、次にその行為の動機をしらべてみる。もし動機が善であるならば、更にその善を楽しんでいるか否かをよくしらべてみる。善を楽しむ人ならば真の善人である。この三つの手段によって、人を観察するならば人は決してその善悪を隠して知らせないようにすることはできない。 

男女のいずれかマクロ的に有利であるか不利であるかは、「間引き」や「出生前診断」を合法化することによって、市場の分権的な意思決定として観測できるのではないでしょうか。間引きには大きな政治的困難が伴うでしょうから、出生前診断と中絶がより現実的でしょう。

もし女性が有利であると考える人が多くなれば、(いかに一部のフェミニストがまだアファーマティブ・アクションが不足していると主張しても)女児の出生数が多くなり、女性であることの価値は低下します。男性にとっての買い手市場となり、カオとカネの交換の市場で「君と同じようなカオを持った女の代わりはいくらでもいるんだよ」という状態に近づくからです。逆もまた然りで、男性が多くなれば女性は選ぶ側に回ることになり、どちらに供給が傾斜した場合でも、必然的に多数の「負け組」が生まれることから、その性別に生まれたことによる生涯効用の期待値は下がり、親たちは反対の性の子供を産もうと心がけることになります。そうすれば、男女における利益の分配がいかにマクロで偏っていても、分母の増減によってミクロの単位では平等を実現できるわけです。これこそ、本来の意味における男女平等の実現というべきではないでしょうか。

ただし、これは親にある程度精度の高い合理的期待を要求するわけですから、不確実性を出来る限り下げるようなコミットメント(確約)が欠かせません。つまり、難民の受け入れ*3はしないといった前提がなければ、親は中長期の(だいたい20年前後の)子供の利得の期待値を計算できなくなってしまうため、いずれかの性が不確実な外部的リスクを割り引かれて評価されたり、リスクを回避するあまり出生そのものを回避する結果を招きかねません。こうした幾つかの前提を充足した上でなら、男女産み分け是認政策は、日本において男女平等を実現するために大きな役割を果たしうると考えます。

*1:相手に一番ダメージを与える言葉を投げかけてくる」のであれば女の子こそ容姿をあげつらうインセンティブが高いことになりますので、前後で矛盾しているようにも想えます

*2:アカデミックではないので省きましたが、知恵袋とかすごいです

*3:"若い男性"がどうしても多くなるようです