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大陸法と英米法、そして小さな政府と大きな政府について

Politics Order

タイトルのとおりだが、大陸法英米法、そして小さな政府と大きな政府の関係性について突如ひらめいた。

 

(専門ではないので全く自信がないが)説明すると、大陸法とはドイツを中心に発達した、民主的な議会によって制定された実定法にのみ効力を認め、裁判官の裁量を最小化する法体系である。議会の代表者たる行政府の権限が大きい。日本もこの流れを引いている。
いっぽうで英米法とは、いわゆる「コモン・ロー」に効力を認め、判例や「慣習(常識)」に法としての効力、強制力を認める法体系だ。議会が制定した条例も裁判所が「慣習」を根拠に破棄することがあり、司法の権限は強い。(しかし裁判官は選挙で選ばれるわけではないから、彼らは実に得体の知れない何者か、に拘束されているのである)

 

そしてこの度考えたのが、どうも大きな政府には大陸法が適していて、小さな政府には英米法が適しているのではないかということだ。

 

大きな政府、いわゆる福祉国家は、強烈な徴税とその再分配を特徴とする。スウェーデンでは、しがないアルバイトでも20%の所得税をとられるそうだ。政府の予算が大きい、ということはもちろん政府の裁量が大きい、ということでもある。

すると、誰に支出するか、ということに明確な規定がなく、ともすれば当局者の気まぐれで決定されるような制度では、たちまち独裁へと墜ちていってしまう。ソ連がいつの間にか独裁国家となったもの、各種資源の生産と供給を当局が一元的に管理する、というトップダウンの体制に人間的な堕落が相俟って成されたことだ。ゆえに、政府に代わって唯一権力を行使できる存在である司法も、もちろん事前に明かされた、明白な基準に基づいて行動することが求められる。政府の裁量が大きいほど不正は起こりやすいため、多発する行政訴訟に対して、いかに堕落した裁判官でも不正の判決が下せないように、法律上の解釈、裁量の余地を極小化する必要があるのだ。
(ちなみに、ソビエト連邦大陸法を採用していたようだ。一見矛盾するようだが、これは大前提である司法の独立を満たしていなかったからだろう)

 

いっぽうで、小さな政府は、発展は中央官僚の計画ではなく、ボトムアップ的な起業家精神と競争によって達成される。そのためには、制度の柔軟性はほぼ不可欠だ。中央計画であればその計画の中に制度の変更をも包含すればすむ問題であるが、ボトムアップ的な発展の過程では、政府が必要な制度の変更(規制緩和など)をア・プリオリに察知し、迅速に対処することはできない。よって、制度は「慣習」を根拠に柔軟に変更されていくことが望ましい。法の前提となる社会環境は絶えず変化しているのであり、議会の動きが遅いためにサイバー犯罪に対処できない、ドローンに対処できないといった大陸法のあり方では実質的な企業活動、市場の安全性を守ることが出来ない。むろん、司法が暴走した場合のリスクヘッジの意味も兼ねて、政府の役割も少ないほうが望ましい。

 

 

その点、小さい政府×英米法の英米は実に賢明だと思われる。そして、小さい政府×大陸法の日本の停滞も、これで説明がつくのではないか。
大きい政府、小さい政府の区分は抜きにして、じつは、経済成長率は英米法の国々の方が傾向的に高いという結果が出ている。(サンプルの少なさと偏りにも注意が必要だが)

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もしかして、英国病に罹患し、欧州有数の最貧国となっていた過去のイギリスの失敗も、「英米法×大きな政府」というディスオーダーに還元できるのではないか。

 

もし国家をゼロから作るのなら、初期には大きな政府と大陸法を採用し、需要が多様化してきた段階で小さな政府と英米法に切り替えるのが一番いいのではないだろうか。法制度は各国の文化とも非常に深く結びついているから変更は容易じゃないかもしれ…いや、日本であれだけ容易だったんだから簡単な事か?

 

法学専攻ではないが、ちょっと他分野に首を突っ込んでしまった。そろそろ寝る時間だ。